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熊野川の達人

熊野の自然に生き方を学ぶ 三枝孝之さん

三枝孝之さん 熊野川で川舟の船頭をされている荘司準治さんは、1924年生まれの83歳。幼少の頃より川舟を操り、まさに熊野川とともに生きてこられました。そんな荘司さんに、熊野川への想いをお聞きしました。

いつ頃から川舟に乗り始めたのですか?

「私はこの桧杖で生まれ育ちましてね。見てのとおりここの地形は前が川で後ろが山なんですよ。昔、道路がないときは島と同じやったんですね。だから、荷物なんかは全部舟で運んだり、人も舟を使わないと向こう岸の新宮へ行けなかった。だからみんな舟を持ってました。男の人は誰でも自由に使いこなすし、女の人でも川の向こうくらいまでは渡ったんですよ。

 私が生まれて一番最初に舟に乗って遊んだのは、小学校にあがる前の年なんです。どないして遊んだかというとね、舟を20mくらいのロープで岸につないだ状態で遊ぶんです。ロープの長さで遊んだわけなんです。流れていかないようにして。櫂とか竿を持ってないし、そんな小さい子やから、板っ切れ持って行きましてね、腹ばいになってそれでこぐんです。

 それからはもう、年々大きくなるに応じて、舟は好きなもんですから、秋から冬は山で栗をゆでたり柿をとったりして、春から夏にかけては川へ遊びにいったわけですよ。学校から帰ったらカバン放り投げて、すぐ川へ走って。そんな生活をしたわけです。だから自然に、好きこそ物の上手なれ、とかいいますけど、上達するわけなんです。だからもう小学校の4年生くらいのときは、ひととおりのことをマスターしたと思うんです。まあ小さいから力は弱いので、舟を急流では引っ張れないし、スピードなんかはちょろっとですけど、することは全部出来たと思うんですよ。

 小学校でも高学年になったら三反帆を上げて、学校から帰ってすぐに遊びに行ったわけなんです。瀬原いうところくらいまで行って、日が暮れるとカラスと一緒に帰ってきたわけなんですよ。そういう遊びをしてたわけです。それから新宮中学校へ通うようになったんですけど、ここから自分で舟で渡って学校へ通ったわけです。洪水の時でも渡って行ったんです」 

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三重県側の人は皆舟を自分で漕いで渡ったんですか?

「渡し舟というのもあったんですよ、老人ホームの前あたりにね。でもあれは遠回りになるんですね。新宮中学校いうのは今の高校のあとです。トンネル超えたとこですからね、こっから行った方が近道なんです。僕らは泳ぎにしても河童みたいなもんですからね。当時は、親なんか子供が心配やいうて見に来た人いないんですよ。みんな年長の子供がめんどうみた。ここでね、川で溺れた人はひとりもおらん。溺れるまでに泳ぎを覚えるから。

 そんな風にして好きで遊んだほうなんですけど、それから車社会に変わってきまして、車乗ってまわったんです。私はその実はトラックも乗ってプロの運転手だったんです。広島から新潟まで走ってるんですよ。東京へはしょっちゅう。東名高速道路完成前から1号線を走った。議員している時もね、議会して、製材所でトラックに荷物を積んどいてもらって、トラック乗って夜をかけて大阪、京都あたりまで走って、荷物降ろして帰ってくる、というのが仕事やったんです」


その頃も舟は乗られてたんですか?

「舟はね、趣味で乗った舟やから、ずっと乗ってましたね。鮎とりいうのがあるんですがそれはここらへんの若いものはね、まだ落ち鮎が下がってきてないときから、鮎が来そうな場所へ舟を止めて待つんですよ。宵から朝まで待ったら捕る権利が残る。一晩行かなかったら人にとられる。それで毎晩川で寝たんですよ、弁当持って行って。昼は稲刈りなんかの仕事をして、終わったらすぐに川へ走っていって、舟で泊まるんです。2ヶ月くらい川で寝るんですよ。それがまた楽しくてね。ある時は舟同士でお酒を持ち寄って、鮎を焼いたり、それがまた楽しい。

 けれど今は鮎もあまり大きくならなくて、数もあまり捕れないんで残念ですね。昔は尺鮎いうてかなり大きな鮎がとれた。当時はだいたい30匹で一貫目やったのが今は70匹くらいないと。半分以下になったいうことですね。まあ、舟はそんなんして鮎とりなんかで乗ってたんですけど、ここんとこは熊野川が世界遺産になって、川舟下りがにわかに脚光を浴びてきてますね」

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川舟下りの楽しいところや難しいところは?

「このあたりの船頭さんはね、あまり上流へ行くことがなかったんですよ。夏に鮎を捕る人はずっと上流まで行ってたんですけど、たいていの人は落ち鮎漁いうてこのあたりで10月の半ば以降に鮎を捕ってたんです。川舟下りが始まることになってからはね、みんなで上流行って研究しながらだんだん技術を高めていったんですね。

 今は川舟下りのために舟作ってますけど、当初は皆自分の舟なんですよ。自分の痛みが感じられる舟なんですよ。だからなるべく痛みのないように走って。浅瀬にあがるときはあまりスクリューを回したら石に当たるんで、それでゆっくりと痛まない程度に回したり。川の石を見ながらカニみたいに走るわけ。それなんかは川舟下りを始めてから皆習得したと思うんです。流れていかん程度にスローにしといて、今度は竿であがるんです。竿を自由自在に使うのがここの人間の特徴。荷物と人を積んで下ってくるときには、浅瀬では沈んで底に引っかかるんです。エンジンをそのままにしてたらつっかえるんで、それでエンジンをあげるんですよ。それで浅いとこ通ったらすぐ降ろして、そしてエンジンかけて、目の前の石をよけて通らな、と、そんなようなとこが難しいですね。上手くいったときはやっぱり嬉しいですよ。

 水の少ないところを行った時は1往復しても大変疲れます。水のちょうどええ具合の時は2往復してもあまり疲れないんですよ。やっぱり人を預かってる、責任感があるんですよね。私なんか歳だからかなと思ったら息子なんかも言います、今日は水あったね、楽やったね言うてます。皆さん上手くとられたときは上手くいったと満足していると思いますよ」

 
   

川舟下りをしてきて印象に残ったことはありますか。

「やっぱりね、お客さんが喜んでくれるのが一番いいですね。今まで何十年何百回と乗ってもらったけど、一番喜んだの、和歌山県知事なんですよ。知事さんが乗って「こりゃええ」っていって喜びましてね、それで帰ってから県庁で人の顔みたら川舟川舟言うて、それですぐ予算つけてくれた。それで舟作ったんですわ。

 やっぱりね、我々が通っても川から見る景色いうのはきれいですね。陸から見るより川からみる方が断然きれいです。また下りながら見るよりも、遡上しながら見る方が午前中なんかは光の感じもよくてきれいですね」

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熊野川の中で好きな場所はどこですか?

「やっぱり田長までの熊野川では、なんといっても圧巻は釣鐘岩ですね。なんでかいうとね、岩が川のまん中まで出てるんですね。そこに恐らく水とバラスが激突するんですよね。そして跳ね返ってあの対岸の骨嶋なんか磨かれるんですよ。水だけであれだけ磨かれるんやなくてバラスが一緒に流れるの。洪水のときなんかガランガランいうて流れるんですよ。あそこが一番じゃないですかね。神秘的やし。深いからね、何が入ってるかわからんようなね」

釣鐘岩


骨嶋

    

これからの川舟下りに期待することはありますか?

「操船の技術もやっと引き継ぎができてきて、世界遺産の登録でにわかに脚光も浴びて嬉しいので、これをいつまでも維持したいと思っているんですけど。でも今10人くらいはすぐに間に合う船頭がいるんですけど、あと若手をもうちょっと練習させたいなと。

 この前、ユネスコの審査委員という方が乗ったんですが、その方の親が私と同じくらいの歳だということで、来年の扇祭りの頃に親を連れて来るから舟に乗せたってくれいうことになってね、それでまたこれからも乗りに来るから私に今のままの状態で90歳まで維持せいと、そしたらまあ、ちょっと貴重な存在になるよ、と言われてるんですよ。まあそれまでやれるかどうかわかりませんけど、頑張ってみようと思います」

 
    

ぜひとも!90歳と言わず、100歳までがんばって下さい。本日はどうもありがとうございました。